電化製品等の使用感を書く。
河合薫の「コロナショックと昭和おじさん社会」を読んだ。
くだらない本だった。
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題名:「コロナショックと昭和おじさん社会」
著者:河合薫
発行者:白石賢
発行:日経BP 日本経済新聞出版本部
発売:日経BPマーケティング
装幀:ベターデイズ
組版:マーリンクレイン
印刷製本:凸版印刷株式会社
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昭和に作られた制度は今では機能不全を起こしています、という内容。
特に目新しいネタは無い。
新しい制度の提案も無い。
データの引用やインタビューの紹介は、意味の無いものが多い。
結論が意味不明なので、読む価値は無い。
★コロナショックは関係なかった
174頁より、
「本書は、日経ビジネス電子版(https://business.nikkei.com/)で連載中の、「河合薫の新・社会の輪 上司と部下の力学」を大幅に加筆のうえ編集したものです。」
★博士の名推理
4頁、「誰もがそう思ったに違いありません。」
32頁、「安倍首相はその決断がここまで混乱を起こすなど微塵も予想しなかったに違いない。」
51頁より、
「 私たちは、ちゃんと現実を受け止めてきただろうか?
自分の足元から目を背け、「どうせ報われないのだからやっても意味がない」「やりたいことなどできるわけない」と、自分で制限を設けていただけじゃないのか。」
167頁より、
「 新型コロナウイルスの出現により、あったはずの日常が消え、人と人が引き離され、あらゆるビジネスが滞った。差別、罵倒、嫉妬、猜疑、憎悪など、あらゆる邪悪な感情が日本中を飛び回り、今まで隠されていた問題がパンドラの箱から次々と飛び出し、最初の頃はその問題を抱えていきていくことに怯えるしかなかった。」
人の心が読めるのか?
★「9時10分前」を理解できない若者たち
60頁より、
「 私がインタビューした管理職の男性は、20代の部下に「9時10分前には集合するように」と言ったところキョトンとされ、まさかと思いつつ「8時50分に来るように」と念押しすると、「あ、そういう意味ですね!」とやっと理解した、というまるで小噺のような話を教えてくれたが、これも日本語力の低下なのか。あるいは、上司の伝え方の問題なのか。」
「〇〇を理解できない若者たち」「△△がわからない大学生」「××が読めない子供たち」など、噂はよく聞くけれども実際には全然見かけない。
よくある煽りである。
★金、金、金
70頁、
「 つまるところ、「競争は好ましいが、その競争の結果が収入格差に結びつくべきではない」という矛盾が、悲しくも利己的な社会と分断を生んでしまったのだ。」
競争と平等の両方を追求したからといって、必ず「利己的な社会」と「分断」が生まれるわけではあるまい。
「競争の結果によって収入に格差は設けないが、地位・権限には格差を設ける」ということが可能ではないか?
お金以外のものが見えていない。
★意味のない定義
「 一般的にコミュニティの最小単位は「家族」とされているけれど、私は「会話」だと考えている。たとえ血がつながっている家族でも、そこに会話がなければコミュニティじゃない。反対に、血がつながっていなくとも会話が存在すれば「家族のような」コミュニティになる。」
コミュニティをこのように考えることにどんな意味があるのか、サッパリわからなかった。
★「変化する社会に「私」がいない」(150頁)
武漢肺炎とインターネットのお陰で「会わなくてもいい社会」が生まれつつあるという話に続けて、
151頁より、
「 一方で、そんな"変化の風"に、取り残されてしまった人たちがいる。
世の中がすっかり変わってしまったように見えるのに、そこに「私」が見えない。"彼ら"を追いつめるのは、いつだって社会のゆがみだ。」
意味不明。
★大切なことは新型コロナウイルスが教えてくれた
167頁168頁より、
「 新型コロナウイルスの出現により、あったはずの日常が消え、人と人が引き離され、あらゆるビジネスが滞った。差別、罵倒、嫉妬、猜疑、憎悪など、あらゆる邪悪な感情が日本中を飛び回り、今まで隠されていた問題がパンドラの箱から次々と飛び出し、最初の頃はその問題を抱えていきていくことに怯えるしかなかった。
だが、今は新しいつながりが少しずつ生まれ、「ひとりぼっちじゃないんだ」「生きていていいんだ」と思える"微笑みの風"が吹き始めている。
大きな社会の動向に比べればとても小さい変化ではある。それでも私たちの行い次第で、「人生捨てたもんじゃない」という社会がつくれることを、人に宿ることでしか生き残れないウイルスは教えてくれた。」
意味不明。
★解決策は「他人力」
171頁より、
「 経済的な格差は今後さらに拡大していくことは避けられない。だが、「他人力」さえあれば大丈夫だ。苦しい人がいたら「この傘を使って」と傘を差し出し、苦しくて苦しくて仕方ないときは、傘を差し出す人にためらうことなくその傘にすがればいい。重たければ手を添えてもらい、雨の中一歩踏み出せなければ背中を押してもらう。そうやって互いに傘を貸し合えば、「新しい社会のカタチ」が生まれていく。」
会社に頼れない人や家族に頼れない人は「他人」に頼りましょうということだが、理解できない。
制度の話をしていたのに、いつのまにか個人の心構えの話に変わっている。
ビニール傘を借りるのは得意らしいが、文章を書く方はそうでもないようだ。
★結論も意味不明
171頁172頁より、
「誰もが幸せになりたいと思う。幸せは自分の日常の、自分の周囲の環境、半径3メートルにある。
人とのつながり、社会との関わり、生命の尊さ。それらの大切さに気づくことが、生きる力を高め幸福感を高める。生産性とはその結果の産物でしかないのだ。」
これが本書の結論である。
1. 無題
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11131963756
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AN-TAMAさん
2014/7/1615:52:52
さっき、ミヤネ屋でビニール傘の話の時、河合薫とかいうコメンテーターの女が「使ってなさそうなビニール傘を拝借して、行った先に置いてくる」「ビニール傘は天下の回りもの」とかぬかしてた!!
悪びれる訳でもなく。公共の電波で窃盗を自白してた。
その事に、誰も突っ込む人は居なかったのも、どうかと思う。
ビニール傘だってその人が代金を支払い購入してる訳だし、その女に傘を持ち去られた持ち主は雨に濡れただろう。
なんてやつだ!!
窃盗公言女、どう思いますか?
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